管理人の論考

先輩には無知な登山計画を変更させる法的責任あり!? 何がなんでも、それはないんじゃないでしょうか。

-弘前大学医学部山岳部遭難訴訟控訴審第一回口頭弁論の報告書-

2002.09.09

おひさしぶりです。お元気ですか。

2002年7月29日に、高等裁判所で、弘前大学医学部山岳部の遭難事故に関する訴訟の控訴審第一回口頭弁論を傍聴してきました。この裁判については、すでに少しご報告いたしましたが、冬の穂高での冬山合宿中に、サブリーダーの学生aさんが下山中に滑落死亡した事故について、リーダーや山岳部先輩ら4者を被告として、損害賠償を請求した裁判の一審判決が言い渡されたのは昨年の秋でした。

北アルプスで1994年1月、弘前大学山岳部の合宿中に滑落死した同大♢♢部三年、aさん=当時(23)=の両親が、大学設置者の国とパーティのリーダー(当時4年)ら三人を相手取り、慰謝料など計約一億四千万円余を求めた訴訟で、地裁は26日、原告の請求を棄却する判決を言い渡した。野田弘明裁判長は「事故原因は本人の軽率な足運びと不注意にある。本人は引率・指導する立場のサブリーダーであり、リーダーらも特に高い注意義務を負ってない」と述べた。

中日新聞2001.XX.XX夕刊より(一部個人情報は省略等加えた)

民事訴訟法の規定では、控訴は2週間以内、控訴理由書の提出は控訴から50日以内ですから、控訴審の第一回期日が約九ヶ月後の7月29日というのでは、遅すぎるように思います。ただでさえ、この訴訟は一審が長く、通常の一審判決が二年以内に出されるのに対して、1996年12月の提訴から一審判決までに5年近くを必要としました。このような裁判の長期化は訴訟当事者への負担が大きく、人権上、問題であると思います。

計画を止めなかったために被告となった山岳部の先輩たち

閑話休題。

今日のポイントは三つほどありました。係争中の事案ですので、その点を考慮してご報告しますと

1.人証についての弁論がありました。

2.不法行為の成立用件の一つである因果関係についての弁論がありました。

3.緊急連絡先を引き受けた先輩部員cさんと登山計画書を受け取った山岳部OBのdさんの法的責任についての裁判長の言及に対して、控訴人側弁護士は、一審に引き続き、「この二人の山岳部先輩には計画を制止する法的な責任があったにもかかわらず、これを怠った」と陳述しました。

3の主張のみ、具体的に記載したのは、1)この主張は私たち登山者にとって、極めて重大な問題ですし、2)それにも関わらず、メディアが、リーダーと国の責任に関連した部分は大きく報じるものの、先輩の山岳部員までもが”被告”となっているという点に焦点を当てた報道をしないために、この重大な事実が、ほとんど知られていないのではないかと言う点を危惧するからです (7月29日も、4人の報道関係者らしき人たちがメモをとっていましたが、私の知る限りは、報道されていないようです) 。

現在進行中の司法改革案などのいくつかの事情に照らすと、もし、この弁護士の主張が認められると、その判例を元に、これを応用した主張をする弁護士が相当程度の確率で発生すると考えざるをえません ( わが国が、”グローバルスタンダード”としてお手本としている国は「訴訟社会」としても有名です。猫の電子レンジ訴訟は伝説としても、交通事故の被害者が病院で意識を取り戻したら、手に何枚も弁護士の名刺が握らされていたという噂は良く耳にします)。

その結果、登山事故発生時に、山岳会の山行管理部長や代表あるいは留守宅本部を引き受けた会員、あるいは相談を受けながら止めなかった先輩会員が、リーダーと共に被告となり、以下のような内容証明郵便を受け取る可能性が増加することになるでしょう。なにしろ、少なくとも相対的に経験の高い者には、無謀・無知な登山を中止・変更させる法的義務があり、かつ、その法的義務を怠ったと言う「不作為不法行為(なすべき義務を果たさなかった)」が認定されるわけですから。

通知書

この登山計画は、あきらかに安全上の問題のある無謀 (無知) な計画でした。この計画を知っていた貴殿には、事故の発生を予見して、これを中止させあるいは変更させて、事故の発生を回避すべき法的義務を負っていました。それにもかかわらず、貴殿は、漫然と、この無謀かつ無知な計画を放置したのです。この事故は、貴殿が尽くすべき注意義務を尽くさなかったために招いたものであることは明白です。そこで、貴殿に対し、次のとおり損害賠償を請求する次第です。

もちろん、訴えられたからと言って、必ず敗訴するわけではありません。自分が注意義務を果たしていたと言う信念がある時はそれを法廷で主張し原告の請求棄却を求めれば良い。しかし、数年の時間と最低でも請求額の1割を目安とした経済的負担は免れ得ないという点は看過できないと思います。また、本人はともかく、ご家族の負担も小さくはないでしょう。

たしかに、登山事故については、断固として法的責任を追求すべきケースや追求されてもやむをえないケースは確かに存在します。しかし、少なくともこの訴訟については、私は、このような「不作為不法行為」を根拠とする原告側主張を、とうてい容認することはできません。

もし、この控訴人側弁護士の主張が、営利目的の登山ツアーや小中高校生を引率する学校登山、あるいは初心者対象の講習会の事故に対してのものであれば、不作為を問われても致し方のないケースもあるでしょう。

しかしながら、成人に達したすでに大学生同士の自主的なこの計画に対して、それがいくら無謀あるいは無知な計画であったとしても、この計画を制止しなかった場合は、相対的に経験の高い先輩の学生やOBは注意義務違反となって、賠償金を支払わなければならない、というような主張は不当な要求であって、なにがなんでも成立しえない(させてはならない)と考えます。

近い将来に起こりうる??仮想事例

近い将来において、例えば、成人やそれに近い大学生の自由意思による計画中の事故に対して、以下のような訴訟が提訴され、さらに、その対象が、あなたご自身、あるいはご友人やご家族であったら、どう思われますか。

仮想事例 その1

Z大学フリークライミング同好会 部長 (4回生) の法的責任追求 

2002年夏に、Z大学フリークライミング同好会の新入部員がクライミング中に墜落死亡した事故で、遺族は、「フリークライミング同好会の部長A (4回生) は、初心者同士だけのクライミングが危険であることを知りながら、クライミングをはじめて間もない初心者の後輩達だけによる計画を止めなかった。部長のAには、信義則で結ばれたフリークライミング同好会の経験者としてこの無謀な計画を止めるべき法的義務があり、Aが止めていれば後輩Bの事故は防ぐことができた。」として、約1億円を請求する損害賠償請求訴訟を起こした。

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仮想事例 その2

バックカントリースノーボード愛好会代表に法的責任と提訴

2003年の冬に発生したバックカントリースノーボーダー (27才の男性) の滑落死亡事故で、配偶者の女性が、「そもそも、たったひとつのミスが死につながる鹿島槍北壁を滑走する計画自体が無謀な計画であった。この事故は、成人男女の愛好者団体の「バックカントリースノーボードの会」代表幹事のAと亡き夫から相談をうけた同クラブ副代表のBおよび緊急連絡先のCが、計画を中止させていれば防止できたものである。よって、3人は連帯して損害賠償に応じる法的義務がある。」として損害賠償請求訴訟を提訴した。死亡した男性はこのクラブの創立者の一人だった。

仮想事例 その3

飲酒登山死亡事故 リーダー格の同行者や代表幹事にも法的責任と訴え

2002年夏に、男性登山者が富士山で転倒死亡した事故で、遺族は「社会人山岳会である知命山岳会のリーダー格のAには、同会の新入会員で山の初心者であった亡きBが頂上で古希祝いのワインを飲もうとしていたのを知りながら、これを制止しなかった。Aは、一行の中で登山経験が豊富な者として、3000メートル級の高山でのアルコール摂取を制止する義務があったのに、これを怠った。よって、飲酒後の下山時における亡きBの転倒死亡事故ついて法的責任があるのは明らか。また、知名山岳会の代表幹事Cは、計画書にビール・ワインとの記載があるのを知りながら、富士山へのアルコール類の携行を漫然と見過ごしたという法的過失がある。」として、損害賠償請求訴訟を起こした。

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仮想事例 その4

事故原因はガイド記事の不適切な記載と 登山事故の遺族 記者と出版社なども提訴

2003年冬に、社会人山岳会パーティが下山中に雪崩に遭遇して全員が死亡した事故で、遺族は、社会人山岳会の山行管理部長・山岳会会長・上部団体である全日本登山者連盟会長だけではなく、「事故は、登山専門誌『登攀』の記事に、下山コースの雪崩情報について不適切な記載があったことが最大の原因」として、事故コースのガイド記事を書いた記者と『登攀』編集長及び出版社に対しても損害賠償を請求する訴訟を起こした。原告代理人は「遭難者のミスは小さく、遭難の最大原因は、この無責任な記事にあるといわざるをえない。不適切なガイド記事を漫然と掲載した出版社の法的責任は大きい。よって、将来このような犠牲者を出さないために懲罰的賠償金も請求する。この裁判によって冬山登山の安全に貢献したい。」とコメントしている。

これらの仮想事例は、少なくとも私のような古いタイプの登山者には、容易にはまったく認容しがたい内容です。

しかしながら、以下に記載する事例とこのA大学山岳部訴訟、あるいは私の神崎川事故裁判、および、数年後にやってくる法曹人口の増大と我が国における米国の社会現象の伝播力、そして、今後も高まり続けるであろう国民の権利意識などのファクターを加味して考えてみますと、「ちょっと待って下さい。なにがなんでもそれはないんじゃないんでしょうか」と叫びたくなるようなこれらの主張が、わが国の法廷で普通に陳述される日を否定しきることは困難かもしれない、という憂いを抱かざるをえません。

そして、先程も述べたように、万一、A大学山岳部訴訟の控訴審で、山岳部先輩の「本来、そうすべき法的義務があるにもかかわらず、その法的義務を怠った」(不作為不法行為) を高等裁判所が認定し、この判決が確定する事態ともなれば、無謀 (無知) な計画を止めなかった登山関係者は損害賠償請求を受ける可能性があるという、きわめて深刻な現実の中で、私たちは登山活動を実施して行くことになるでしょう。

このような態様が、今後の事故防止のための「あるべき姿」なのでしょうか。仮に”山岳部の先輩学生らの法的責任認定” という判例によって、登山事故が減少したとして、アウトドアで遊ぶことを喜びとする私たちは、それを歓迎すべきなのでしょうか。

これらの深刻な疑問はさておき、少なくとも私には、「仲間の無知や無謀な計画を制止できなかった場合は賠償金支払いの請求をうける可能性があることは、日本の野外で遊ぶ上では、当然、あらかじめ受容しておくべき一種の”リスク”である」というような覚悟をすることは困難です。

そして、「損害賠償訴訟の被告となるリスクもある程度は覚悟した上で引き受けて欲しい」と、仲間に留守宅本部をお願いするインフォームドコンセントをすることは、もっと困難 (というよりも不可能) です。

自分たちはキチンとやっているから大丈夫、は通用するとは限らない

ここまで述べて来た私の主張に対して、当然、以下のような反論が予想されます。

「宗宮さんの主張は見当違いである。なぜなら、経験者が法的責任を問われるのは、無知や無謀な計画を止めなかった場合に限定されている。真っ当な山岳会やキチンとした山岳部における、あえて危険に挑むような計画は、たとえ事故が発生しても仲間の法的責任は追求されない。」

そうであれば、どんなにいいか、とは思います。

しかしならが、この主張は、「常には成立しない」と言わざるを得ません。なぜなら、ある登山事故が無謀 and/or 無知な計画であったかどうかを判断し、提訴するかどうかを決断する権利は、登山関係者ではなく、あくまでもご家族にあるからです。

よって、たとえ山岳会の山行管理部や事故調査委員会あるいは山岳雑誌が「この登山計画は厳しい審査を通った妥当な計画であった。さらに、登山者たちは事故防止についての注意義務をすべて果たした。しかし、自然の前では人の力には限界があり、事故はやむをえない不可抗力なものであった。」と、いくら自分達なりの誠意を尽して主張したとしても、ご家族が、それらの報告内容に納得しない場合は・・裁判の見通しはあるいは明るいかも知れませんが・・少なくとも提訴を止めることは不可能です。

裁判を受ける権利は、日本では、極めて強力な法的権利です。すでに拙稿「誓約書 (免責同意書) の違法性について」で、ご報告したように、わが国では、いわゆる「同意書」に法的効力はありません。

ですから、提訴をあらかじめ制限させうる法律 ( 例えば米国におけるウェーバーフォーム) のないわたしたちの祖国ニッポンにおいては「自分たちはきちんとやっているから刑事責任はもちろんだが、民事訴訟とも無縁である」という判断は、「雪崩の発生は予知不可能で経験とカンに頼るしかない」という、かつての思い込みと同様の単なる幻想にすぎません。

それでは、仮想ではない「実例」をいくつかあげてみます。「なにがなんでもこの仮想事例は大げさすぎるのではないか」、「荒唐無稽だ」、「針小棒大化なのでは」、などと思っていらっしゃるかも、とも危惧しますので・・。

実例その1

立入禁止看板を無視して雪崩遭難した大学教授の家族 スキー仲間を提訴 

大学山岳部出身で、カナダでのヘリスキー経験があり、バックカントリー滑走を趣味とする大学医学部教授 ( 50代の男性 ) が、スキー仲間3名の仲間と一緒に、立ち入り禁止の看板を無視して、スキー場の滑走禁止エリアを滑走し雪崩に巻き込まれて死亡した事故で、死亡した男性の家族は、仲間のうちの2名を、”リーダー”と”サブリーダー”であったとし、この男性を滑走禁止区域に誘導し、放置して滑走するに任せ、また、滑走によって雪崩発生を誘発させたとして、さらに、残りの1名の仲間を、”リーダー”と”サブリーダー”及び死亡した男性に漫然と追随して滑走し、スキーのエッジで雪面を切ったことにより雪崩発生の原因を作ったなどとして損害賠償を求める訴訟を長野地方裁判所に起した。家族は、スキー場に対しても、「立ち入り禁止の標識だけでは不十分」として損害賠償を請求した。 (判例時報1749号)

実例その2

大学ヨット部の転覆死亡事故 クラブ役員学生・同乗部員・顧問・国を提訴

大学ヨット部の学生が、ヨットの練習中に転覆して転落し溺死した事故で、家族はヨット部の学生3名 ( 部長・副部長・会計担当者および一緒にヨットを操縦していた同級生 ) とヨット部顧問教官及び国に対して損害賠償請求訴訟を起こした。死亡した学生は、事故時には転覆したヨットの艇長を自発的に務めており、その技量は一緒にヨットを操縦していた同級生 ( 被告 ) とほぼ同等であった。なお、通常ヨットを単独で操舵するのに必要な乗艇時間は15-16時間で、死亡した学生と被告の同乗学生は、約80時間の経験があり、相当の程度に達していた。 ( 判例時報1217号 )

実例その3

花火大会で負傷したテニスクラブの学生 仲間とクラブ会長の学生に8000万円の賠償請求

大学のテニスクラブの夏合宿中の学生同士による花火大会で、ロケット花火の直撃を受けて視力が低下した女子学生が、花火を発射したと思われる仲間とテニスクラブの会長の学生に対して各々4000万円の賠償を請求した。テニスクラブの会長の学生の法的責任について、原告側は、「テニスクラブの責任者の地位にあり、花火大会を管理する立場にあったから、ロケット花火の水平発射などの危険な行為を会員が行なわないよう未然に防止する法的義務があるのに、これを怠った」と主張した。(判例時報1396号)

実例その4

肥満はハンバーガーが原因 アメリカ ファストフード会社に賠償請求訴訟

肥満で、心臓病と糖尿病になってしまったのは、「牛肉100パーセントというので、身体に良いと思っていたのに、脂肪ばかりで肥満になった」「健康に有害と警告しなければ詐欺に相当する」などとして、アメリカの56才の男性が、マクドナルドやケンタッキーフライドチキンなどの4社に対して、損害賠償請求訴訟をニューヨーク地裁に起こした。 (毎日新聞2002.07.27)

控訴審でも、原審に引き続いて公正な判決を

弘前大学医学部山岳部遭難訴訟の一審は、被告となった先輩部員達の法的責任について、「到底認められない」という判断を下しています。私はこの判断はきわめて妥当かつ公正な論評と考えます。また、リーダーと国に対する賠償を棄却するに至った判決の内容も、おおむね妥当な判断と思います。

一審判決文より抜粋

・・本件事故現場は,蒲田富士直下の岩稜帯をトラバース気味に下降するルートで,沢側への斜面の傾斜は約45度である。本件事故当時,ルート上には先行パーティーが残したトレースがはっきりとついており,やや湿った新雪の所々に岩が露出していた。また,当時,本件事故現場付近には,数日前からX大学山岳部が張った複数本のフィックスロープが残置されていた。

同人の滑落の原因について検討すると,本件事故現場は,比較的急な斜面ではあるが,本件事故当時は気象条件に恵まれ,また,ルート上にはトレースがはっきりとついており,まだ新しい複数本のフィックスロープが残置されていた上,亡aの体調も良好であったこと,また,同人は,残置ロープを掴むことなく,後続のf( 山岳部新人; 宗宮註 ) にも同ロープを掴まないで降りるよう指示を出すなど,余裕があり,快調なペースで下降していたことから判断すると,亡aは,fに指示を出して再び下降を始める際,足下に対する注意をおろそかにしていたことにより,トレースを踏み外したこと,あるいは露出した岩にアイゼンを引っかけてつまづいたことをきっかけとし,3点確保の姿勢をとっていなかったこともあって滑落したものと認めるのが相当である。

4 被告c,被告dの責任について

上記のとおり,本件事故は本件山行計画そのものに起因するものではないから,これについての被告c,被告dの指導,助言の有無と本件事故との間に相当因果関係は認められない。

なお,原告らは,被告c,被告dは,それぞれ緊急連絡先,登山本部として本件山行に関与したのであるから,ルートや装備といった山行計画について適切な指導,助言を与えるべき法的義務があった旨主張するが,同人らは,万が一事故等が発生した場合の対処を行うことを引き受けたにとどまり,また,山岳部では,3年生以上の上級生やOBが積極的に活動に参加し,後輩部員に指導,助言を与えるような慣行もなかったことに照らせば,同人らに指導,助言を与える法的義務があったとは到底認められない。

私は、高等裁判所においても、一審判決と同様の判決が言い渡されることを祈ってやみません。この考えは、数年前の夏に初めて弘前大学医学部山岳部遭難訴訟の裁判資料を読み、そして、その後のこの裁判への関わりの中で達した私の結論なのです 。

(そもそも、山岳部内に後輩の計画をチェックし、無知 and/or 無謀な計画については、強制的に変更・中止させるシステムを設置することを法律で義務づけるべき、というご見識についての議論は別メールにて・・・)。

もちろん、本稿における私の主張について、当然、検証しておくべき重要なファクターはあります。それは「三年余の沢登り事故裁判の被告という立場が、どの程度この宗宮誠祐という人の主張に影響しているか」という点です。

人はなにかしらの先入観をもっているものですし、すべてのバイアスを排除して物事を評価するというのは極めて困難です。まして、ある特定の立場に長くあった者は、その視点に重点をおいて評価を下しがちです。その経験がプラスに働くこともあるのですが、逆の可能性もまた否定できません。

私自身は、少しでも私固有の経験によるバイアスを除去して判断を下すように心がけていますし、「登山事故には法的責任を追求すべきものとそうではないものがある。その基準を明確にしてコンセンサスを確立したい (この基準の定量化についての試論は近い将来において公表する予定です) 」という立場で、「登山事故の法的責任について考えるページ」を運営しているつもりです。

たとえば、いつか詳しくご紹介しようと考えておりますが、私は、東京農大ワンダーフォーゲル部において、合宿中に上級生のしごきによって下級生が死亡した事件は、上級生らに明らかに民事よりも重い刑事責任があると思います。また、営利・引率登山であったニセコ雪崩事故訴訟についても、引率ガイドは損害賠償請求に応じざるをえないと思います。

しかしながら、少なくとも、この大学山岳部訴訟に関しては、「不法行為」の成立要件、特に因果関係に照らしてみた場合に、私にはリーダーの法的責任 (法的責任は、道義的責任とは違います) の認定を求める原告側主張には無理がありすぎると言わざるをえないのです。いわんや、計画をとめなかった先輩をや。

私の結論は、やはり、かつて、「沢登り事故の被告だった」という立場ゆえの非論理的 and/or 非公正な判断なのでしょうか。

この判断は第三者の見識に委ねるべき性質のものと思料します。よって、このメールの最後に、原告側の論法と被告の反論、ヨーロッパの登山に関するコンセンサス、かつての本多勝一氏による登山事故の法的責任に関する見解、および登山事故の法的責任を理論化し事例によって検証した辻判事の論文などから、参考部分を引用します。これらの資料と「作為義務と不作為の関係」、あるいは民法709条の「不法行為」の成立要件、特に、「相当因果関係」などを法律関係書籍や判例集で吟味し、私の主張の是非をご検討ください。

山岳部の先輩cさんに法的責任があるとする原告側主張の論法

山岳部の先輩であるcには、事前の訓練をさせないまま、技量の未熟な後輩をパーティに参加させ、自ら計画の立案に携わり、メンバーの力量からすれば、目的地及びルートが危険極まりないものであり、ザイル、ヘルメット、無線機を携行しないという無謀な計画書である事を知りまたは知るべき立場にありながら、計画の修正や中止などの意見を述べる等せず、計画書を大学などに提出しなかった法的責任は重大である。また、山行計画の立案に関与し、登山本部という形で本件山行に関与した者として、極めて大きな落ち度(法的責任:宗宮註)といわざると得ない。

被告の反論

山岳部の先輩であるcは、「ザイルの携行についての相談を受けた際には、携行すべきである旨助言している。しかし本件のパーティが不携行を選択したのである。よって原告らの理論に立ったとしても過失 はない。」し、さらに、緊急連絡先の役割として「事故などの緊急事態が発生した場合に最初に現地から連絡を受け、それを登山本部に連絡するというのが任務であった」ので、「山行計画の事前チェックを期待されていないし、それをしなければならない義務(法的義務:宗宮註)もない」としている。

山岳部OBのdさんに法的責任があるとする原告側主張の論法

山岳部OBとして客観的な立場で山行の問題点を見ることのできる立場にある被告dは登山本部を引き受けるという形で本件山行に関与した以上、客観的に見れば一見して明らかな安全上の問題点のある本件山行計画に対して、その変更・修正を指導・助言すべきだったにもかかわらず、何らの指導も助言もしなかった過失がある。

被告の反論

被告dの引き受けた登山本部の役割は「万が一、事故などの緊急事態が発生した場合の各方面への連絡、捜索依頼、捜索隊の派遣などの手配をすることである。」し、「山行計画書が被告dのもとに到着したのは被告のリーダーらが出発した後であったというのであるから、仮に本件山行計画に安全上の問題があったとしても被告dにはその時間さえなかった」としている。

念のために強調しておきますが、これらの主張は、事故検討会等で行なわれる道義的な責任についての「やりとり」や今後の事故防止のための「評論」ではありません。あくまでも、法的な責任があるかどうか、より具体的には、賠償金を支払う必要があるかどうかに関する議論なのだ、ということにはぜひご留意ください。

なお、一審は、被告cさんがザイル携行を助言したことと、計画書は一行が出発した後に被告dさんの元に到着したこととを「事実」と認定しています。

宗宮の信奉する、ヨーロッパにおける登山に関する認識

・・第2に、個人の自由の問題。登山を法的に規制した国はどこにもない。どんなに危険な岩場でも登るのは自由、忠告はするが、中止させる権限を持つ者はいない。極端な表現をすれば、自殺的登山でも、本人の意思なら感知せず、ということだ。

 本多勝一「アルプスの山と人」『朝日新聞』1963年12月夕刊

登山事故の法的責任についてのかつての本多勝一氏の見解

実例をあげる前にいそいでつけ加えておくが、(リーダーの法的責任を追及せよというのは:宗宮註 ) 私は「引率登山」についていっているのである。つまり山について無知な初心者を、リーダーが責任をもって連れてゆく場合のことだ。それ以外の登山、つまり初心者(たち)が勝手に自分で行くとか、経験者やベテラン(たち)があえて危険な山に挑戦するとか、要するに責任が「引率者」にない場合のことを問題にしているのではない。電車線路の間に寝て、電車の通過をやりすごしたり、タルにはいってナイヤガラの滝からころげ落ちたりすることに死の危険があ ったとしても、それが「引率」され、安全だと信頼してだまされたのでないかぎり、あくまで個人の責任であり、法的にどうのこうのする問題ではない。個人の自由である。

本多勝一『リーダーは何をしていたか』

・・山の遭難は、まず二つに大別すべきである。

1.引率登山

2.自主登山

前者の例は、学校で先生がリーダーとなって生徒をつれてゆく場合とか、何らかの主催者が一般から募集してつれてゆく場合とか、あるいは今回のようにプロのガイドが初心者をつれてゆくような場合だ。・・客はリーダーに生命をたくしている。明確に責任がある。・・だが、後者(2「自主登山」)はこれとは本質的に異なる。たとえば大学のクラブの仲間同士で登る山とか、同好会や社会人山岳会が互いに山仲間として登る場合、もちろん比較的力あるものがリーダーになることが多いものの、公募したり学校行事での生徒を引率する場合のような大きな責任を負わされはしない。・・(文字化けするので1.2.と数字を変更した。宗宮註) 

本多勝一『リーダーは何をしていたか』

個人の冒険を規制すべきではないし、第一どんな大ベテランでも遭難の可能性をゼロにできないのですから、主体性の問題になってきます。たとえ高校生であっても、個人の意志で雪山へ行くのは抑えられないと思うからです。個人で山へ行く場合は、学校も干渉する権利はないと思いますよ。

本多勝一『リーダーは何をしていたか』

浦和地方裁判所越谷支部判事の辻次郎氏の論文から  

・・自主登山とは、大学山岳部の仲間同士の場合、個人的な登山愛好者や社会人山岳会が互いに山仲間として登る場合など、特定の者が一応リーダーとなっていても他の仲間も山行計画に関与するなど積極的に登山に関与している場合である。・・ 

辻次郎「登山事故の法的責任(上)」『判例タイムズ』997

・・自主登山・成年・非営利型(大学山岳部、社会人山岳会の登山、個人的愛好者のグループ山行など)この型は、リーダーの注意義務は最も低いものになる。・・大学山岳部の合宿として行なわれた登山において、雪崩ないし滑落などの事故により死亡した場合は、その責任はどのよう、になるのであろうか。前記のとおり、リーダーが季節、コース等により求められる技術、装備等のレベルに達していない場合はそれだけで過失 ( 過失の存在だけでは、不法行為の成立には不十分である : 宗宮註 ) があるといえる。・・しかし、大学のクラブ活動は、通常学生が自主的に活動しており、その参加も自由であり、メンバーである学生も成人ないしそれに近いので、高校生等の場合とは異なり、自ら危険を判断するべきであると言えるので、過失相殺や危険引受けの理論等により、損害額を減額される可能性は高いと言えるし、場合によっては、請求棄却になることもあろう。・・

辻次郎「登山事故の法的責任(下)」『判例タイムズ』998

この裁判に関しては、ついつい長文メールとなってしまいます。どうか、ご海容ください。第二回口頭弁論期日は9月となっておりますので、また、その頃メールいたします。ご意見やご感想をおよせいただければ幸いです。

それにしても、それほど遠くない将来、わが国において、「無知あるいは無謀な計画を知った以上は、これを制止する法的義務がある」と言う主張が”定向進化”して、「そもそも、経験豊かな先輩は、必ず計画書を提出させて、これをチェックする法的義務がある。よって、計画を知らなかったので責任はない、というような主張はとうてい認め難い。経験豊かな先輩として、後輩から計画書を提出させなかったこと自体が、不作為不法行為にあたり、被告の法的責任は明らか」と主張する弁護士が出現する時代がくるかも知れない、と考えるのは私の被害妄想でしょうか。

なお、事故の法的責任についての私の見解は、おおむね、上記のかつての本多勝一氏の試論や辻判事の理論を基準とすべきであるということになります。ただし、本多試論と辻理論は、若干の補正が必要と考えます。よって、一応「おおむね」としました。この件はいづれまた・・。

それでは、また、どこかの山か岩場でお会いしましょう。

宗宮誠祐拝


補足1 不法行為の成立要件

損害賠償金を支払う必要が生じる「不法行為の成立要件」についておおまかに言うと、この成立のためには、以下の五つの条件、すなわち、1.故意あるいは過失の存在、2.権利侵害、3.損害の発生、4.故意あるいは過失と損害の発生との間の「因果関係」の存在、5.責任能力、が必要不可欠となる。なお、違法性阻却事由などについては省略する。

補足2 不作為不法行為

不作為不法行為としての最近の事例は、いわゆるエイズ訴訟における厚生省(当時)の官僚の不作為があげられよう。なお、不作為不法行為が成立するためには、まず作為義務の存在が必要となる。つまり、「◯◯するべき法的義務の存在」という前提条件があってはじめて、その法的義務を怠ったとして、不作為(◯◯するべきなのにしなかった)による不法行為を相手に問うことができるのである。そのため、原告側弁護士はおおむね以下のような論法を用いている。

生死を共にする山岳部の仲間やOBは、単なる友だち同士で山に行く場合とは異なり、強い信頼関係で結ばれた集団であるので、この信義則に基づき、特にその山行に関与した場合は、育成・援助・指導・助言をする法的義務がもともとあるのである。にもかかわらず、山岳部の先輩たちは、無知な計画を中止させるという作為義務があったのに、この法的義務を怠った。そして、その不作為と後輩の滑落死亡という損害の間には明確に因果関係がある。よって、不法行為の成立要件は満たされ、先輩たちには賠償金を支払う法的義務が発生する。

では、山岳会の仲間の場合はどうだろうか。次のような主張は成立するだろうか。あるいは、成立しないまでも、その成立を法廷で主張することは可能だろうか。

○○山岳会代表とその上部団体の山行管理委員会委員長の法的責任について

生死を共にする山岳会の仲間やこれを統括する上部団体は、単なる友だち同士で山に行く場合とは異なり、強い信頼関係で結ばれた集団であるので、この信義則に基づき、特に、その山行になんらかの関与をした場合は、その計画に対して援助・指導・助言をする法的義務がもともとあるのである。それにもかかわらず、この法的義務を怠り、本件、○○山岳会夏山合宿での死亡事故を事前に防止できなかったのであるから、○○山岳会代表とその上部団体の山行管理委員会委員長のミスは、事故当事者の現場でのミスに比べて遥かに大きいといわざるをえない。よって、裁判所には、被告側の事故は当事者の不注意が原因という近視眼的な現場過失論などに惑わされることなく、将来の事故再発防止のための根本的指針となる良識ある判断をしていただきたい。

以上

IN SQUAMISH BY SOMIYA SEIYU

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