「ある大学山岳部遭難訴訟」の一審判決掲載を告知し、かつ、「ぜひご見識をお聞かせ下さい」と記したメールを送付したところ、グループ山想の山本勉さんから深く考えさせられるメールを頂くことができた。掲載の許可を頂けたので以下に掲載する。
なお、ウェブ上で文字化けなどの誤りが発生したとしたら、それらはすべて私のミスである。また、タイトルは私の独断による。
2003.03.10
事前にリーダーは決めておかなければならない。
しかし、事故の法的責任を負わせるためではない
山本勉 (グループ山想)
山岳事故に関するメール拝受しました。
かなり膨大なHPの主要部分も一気に通読させて頂きました。
私は、東都周辺では最も尖鋭的な山岳会に所属し、岩登りと氷壁登攀にのめりこんでいました。主として活動していた時代は昭和20年代後半から40年頃まであり、貴方のHPに投稿されたどなたかの言葉ではありませんが「弁当と怪我はテメエ持ち」が常識であった頃です。
その当時の岳友達の中には現在でも現役同様に活動している連中もすくなくありませんが、難しい登山が困難となってしまった私のようなメンバーとも引きつづいての親交が続けられており、数年前から全国の登山愛好者に呼びかけて「グループ山想」と称する組織を発足させました。内容は私が管理している下記のホームページをご参照ください。HPやMLと並行して同人雑誌も不定期ながら毎号約500部ほど刊行、無料贈呈しています。読者のほとんどは私のHP訪問者がメールで申し込んでこられた方々ですから、ほとんど面識はありませんが、プロの登山ガイドからサンディハイカー、山小屋の管理者さん、登山用具販売店の経営者など多岐に渉っています。
以上、いささか前置きが長くなりましたが、私自身も新聞で遭難確実と報道されながら辛うじて生還した体験もあり、常に死と隣りあわせの登攀者でしたから、身近かに山岳事故を見分したことも多く、救援隊参加あるいは遺体収容の経験も沢山あります。因みに私が所属していた会は「山岳サルベージ屋」として悪名高い東京緑山岳会です。
従って登山での事故とリーダーのあるべき姿については昔から深く関心を抱いており、考え方の一端を私のHPにも掲載してあります。なお、私は公開HPを二つ管理しており、リーダー論については登山関係HPではなく、思想的意見発表の場である「落葉記」内の「私の主張」欄に掲載しました。
私は貴方がHPに掲載されておられる主張のほとんどに賛意を表する者でありますが、リーダー論(1)についてのみいささかニュアンスが異なっているかと存じます。
問題となった事件の沢登りと川遊びの区別については曖昧なところがあり、私にも判別不可能なケースもすくなくありません。しかしながら、私はどちらの場合であっても事前にリーダーを決めておかなくてはならないと昔も主張してきましたし現在でも後輩達に言い聞かせているのです。だからと言ってそれは事故の責任を負わせるためのものではありません。
予めリーダーを決めておくことは可能な限り危険を回避するための手段だからなのです。
私は登山リーダーを海を走る船の船長になぞらえることで後輩達に説明しています。暴風雨に襲われ荒海にある船の操舵を如何にすべきかなど合議などしているゆとりはないはずです。良くも悪くも船長の独断専決に委ねるしかないのです。そして、その時の船長の判断が誤っていたとしても責任を問うべきではないと思っています。
山頂を目前にして登山パーティが突然悪天候に襲われたらどうします。
そこで合議しますか。
強行突破してとにかく山頂を極めたいと思うメンバーもいるかもしれないし、危険を感じて即時下山を主張する者もいるでしょう。
そこでリーダーが「では各自の思い思いにやれ」と言って突き放して良いのでしょうか。
パーティはバラバラとなり危険は倍増することになりましょう。危機に直面してリーダーの決断に反する行動をとるような物ならば当初からその山行に参加すべきではなかった人と思うのです。
貴方の体験された事故において、貴方はリーダーは決めていなかったと主張されたようですが、HPを通読した私の感想を正直にご披露するならば貴方は全員から無言のままで実質的リーダーと目されていた存在だったかと思われます。
沢登りなどではなく単なる川遊びだったからリーダーを決めていなかったと、貴方は主張されたかったのでしょうが、そうした反論は相手方及び裁判長の反発を招く結果とはならなかったでしょうか。結果論ですから、なんとでも言えますが私ならば、メンバーの合意を得ていなくとも実質的なリーダーであったことを認めたく思います。
しかしながら、さほど危険を感じられない場所までいちいちリーダーが指示すべきでないことは登山者の常識であることを強調すべきではなかったでしょうか。登山家ならばその説明だけで理解できるはずなのですが、登山経験の乏しい一般人や裁判官には、その説明では分かりにくいのかもしれませんね。しかも体力に自信がある男性二人が自主的に女性達の徒渉を支援しようとして身構えたことまでリーダーが容喙するべきでもありません。
ただし、事件の後で貴方が所属しておられる山岳会ではどうだったか知りませんが、私が所属していた山岳会や東京周辺の伝統ある会ならば必ず反省会と称してそのパーティのリーダーや同行者にミスがなかったかどうか、厳しい批判にさらされることも常です。場合によっては掴み合いになりかねない激論が交わされることすら少なくありません。しかし、そうした議論はこれからはいかにして同様な事故を防止すべきかというテーマの研究会のようなもので、法的責任などを追及するものでなく、もしも遭難者の遺族などから法的に訴訟など起こされたならば同じ山岳会員として仲間内で批判していたメンバーとてもすべての会員が関係者に味方し、すくなくとも法的責任がないことに意見が一致するはずです。
私は戸塚ヨットスクール戸塚宏校長の教育論に共鳴しているために、戸塚氏擁護の主張を私自身の掲示板に投稿したことがありましたが、戸塚ヨットの生徒が事故死したケースを登山パーティの遭難事故になぞらえたところ登山もヨットも無知と思われる論者から反論を受けました。「中学の教師が授業の一貫として冬の北アルプスに生徒を連れて行くような無謀なことを戸塚氏がやったから殺人だ」というのです。中学教師が学校の授業として冬の北アルプスへ生徒を引率するなんてあり得ない想定だと私は再反論しましたが一般人の常識は所詮そんなところなのでしょう。
長文になりすぎましたから、今回はこのあたりで一応は私の意見を終えますが、貴方のHPには傾聴すべき論説が沢山掲載されてありますので、お差し支えなければ私のHP上でリンクさせて頂きたく存じます。また、引きつづいて山岳事故とリーダー論について意見の交換をさせて欲しいと願っています。できれば、私達の同人雑誌「G山想」に寄稿して頂きたいものと思います。貴HPからの転載でも構いません。
2003.03.10掲載
註(1) 拙HPの「リーダー論」のこと。