管理人の論考

「弘前大学医学部山岳部遭難訴訟」との係わりの経緯について

2003.03.11

宗宮誠祐

明日の午後1時10分から、「弘前大学医学部山岳部遭難訴訟」の控訴審判決が高等裁判所で言い渡されます。

1999年夏。この裁判の訴訟記録を初めて地方裁判所で閲覧した時の驚きを今も忘れることはできません。「自主登山のリーダーの法的責任の追求は『危険引き受けの法理』から困難なはずなのに、原告側はどのような論理展開をしているのだろうか。自分の裁判の参考になるかもしれない・・・」という程度の気分は一瞬で吹っ飛んでしまいました。原告側証拠中のいくつかの書面は、もはや自分がこの訴訟に関して気楽な第三者ではいられないことを明確に示していたのです。

2000年秋。僕は行動を開始しました。特に、原告側から提出された登山界の公的立場にある岳人Bさん (面識有) の意見書は僕にはとうてい承服できない内容でした。僕は自他共に評判の怠け者なのですが、その怠け者をもってしても、事態は重大で緊急を要すると判断せざるを得なかったのです。幸い僕の言動は多くの仲間の理解を得ることができました。僕はその決定の最終局面には立ち会いませんでしたが、仲間達は最善の手段を選択し、その判断のおかげで、僕たちは登山者としての最低限の道義的責任を果たすことができた、と少なくとも僕自身は感じています。

2001年冬。僕は仲間たちとの決定事項を具体化する過程において内容証明郵便と上申書の書き方を修得しました。また、僕の言動に関して、僕の考えとは全く異なった解釈が可能なのだということも学びました。僕は、この時期に僕たちの選択した行動が、ほんのごくわずかとはいえ、この年の秋の一審判決に資することができたのではないか、と念じます。

2001年春。僕は、登山事故の法的責任について、僕とは異なった考え方を持つ著名な岳人がBさん以外にもいらっしゃることを認識しました。特に、本多勝一さんの意見書中の「・・いやしくも冬山を目指すような資格など、もともと全くなかった・・」や「・・これは、無知なリーダーによる『引率登山』と言うほかはありません。」などの主張は、僕には絶対に承服しかねるものでした。もちろん、登山がどのように行なわれるべきかには多くの見識があり、どのような登山を志すかは原則として個人の自由です。僕はその方々が「自己決定権」に基づいて選択したその方々の「登山」を尊重します。しかし、その一方で、他者の選択する「登山」が、その方々の志とは異なるものであったとしても、他者の意思を尊重して欲しいと願いました。もちろん、「登山のあるべき姿」についての意見の交換は有意味です。もしかしたら、歩み寄れるかも知れませんし、相互批判はお互いの向上に役立つでしょう。しかし、自分の「こうあるべき登山」を他者にわかとうとする時には、ひとつのルールがあると僕は思うのです。つまり、相手を導くその手段は、出川あずさ氏が「雪山と向き合って」で格調高く指摘されたように、できうるかぎり「啓蒙」によるべきだということです。少なくとも僕は「登山はかくあるべし」という議論時に、たとえそれが正しいと思える「思想」であっても、「強制」によってその「信条」の受容を要求されるのであれば、まず、その手段に対して異義を唱えます。そして、「強制」によらなければならない「正義」を本質的に疑うでしょう。なぜなら、もしその「思想」が風雪に耐えうるホンモノであるならば、「フェアな啓蒙」や「論理性のある論議」という手段さえあれば、それで十分ではないかと感じるからです。さらに、どれほど立派な正義の旗を高く掲げるのだとしても、その目的達成のためにどんな手段も可能である程にまで正しいということはありません。特に、高い理想を掲げるのであれば、それに見合ったフェアな手段が必要です。

2001年秋。一審裁判所は原告の請求をすべて棄却しました。僕はこの判決に、一人の登山者として、また一市民として、心から感謝しました。もちろん、パーフェクトではありません。しかし、総合的に見て、極めて良識ある妥当な判決と感じます。そして、僕とは異なった信条を持つ前記の方々も、この判決を読めばきっと納得されるであろうと期待しました。一方、新聞各紙の論調は僕にはあまり納得の行くものではありませんでした。特に、「計画を止めなかったために訴えられている先輩部員」についての報道がないことには僕は大きな疑問を抱きました。なにしろ、「リーダーら」の「ら」の一文字が、理不尽な理由で (僕はそう思います)、 被告となってしまった先輩部員を示しているわけですから・・・。

2002年夏。やっと開始された控訴審裁判記録を閲覧して僕はまた驚きました。本多勝一さんをはじめとする何人かの方々は一審判決に納得しないばかりか、この良識ある判決を厳しく批判しているのです。僕は裁判所で閲覧した書面、例えばAさんによる「山を知らない裁判官による惨澹たる判決」という言葉に暗然としました。さらに、控訴人準備書面には「・・これは、山岳関係者が、こぞって冬の奥穂高岳に入るルートにロープは必携で、その指導を怠ったX大山岳部OB、先輩、リーダーの正当性を支持することを拒否しているからである。・・」との記載もありました。さらに、この書面において、一審判決が否定した「登山を制止しなかった先輩」の法的責任までもが再びハッキリと主張され続けていることにはかなりのショックを受けました。そして、この一審判決を批判する方たちが、国やリーダーの責任については決然と言及するのに、「計画を止めなかったために訴えられている先輩部員」の法的責任については一向に言及しないことに強い違和感を感じたのです。「なぜこの重要な論点に沈黙するのだろうか?」と。この違和感は、「まあいいか」が口癖の僕をして「先輩には無知な登山計画を変更させる法的責任あり!?何がなんでも、それはないんじゃないでしょうか。-弘前大学医学部山岳部遭難訴訟控訴審第一回口頭弁論の報告書- 」をHPに発表させ、自分の立場を公にするキッカケとなりました。僕はAさんに質問書を発送しました。Aさんは控訴人側からの出廷を希望しているとのことでした。

2002年秋。結局、本多勝一さんは証人として採用されませんでした。提出された控訴人側準備書面の内容は、一貫して、僕には承服しかねるものでした。僕は何人かの登山仲間にどうすべきかを相談しました。一人の登山仲間が被告側 ( 正確には被控訴人側 ) からの意見書提出を快諾してくれました。僕は僕で「本多勝一氏とB氏の意見書を批判する。」を作成しました。僕たちの文書は乙36号証及び乙37号証として法廷で陳述されました。一方、初夏に質問書を送付した本多勝一さんからは、少なくとも僕の質問への具体的回答は秋になっても得られませんでした。「必ずいつか返答する」との回答はありました。しかし、「いつか」では、この控訴審判決に間に合わない可能性が強いのです。僕は、時期を見て質問書を公開する旨の手紙と「今後、本多勝一さんを公開の場で批判する特段の事情について」を発送することにしました (実際、僕宛には本多勝一さんからは控訴審結審までにはレスポンスはありませんし、僕の知る限り、この控訴審においては、「山を知らない裁判官による惨澹たる判決」と記されたアンケート回答用紙以外には書面も提出されていません)。

2003年冬。控訴人側の申請したもうひとりの山岳関係者証人 (僕の知人でもあります) を裁判所は採用しませんでした。そして、すでにご報告したように1月15日に本控訴審は結審しました。結局、控訴人側からは3通の山岳関係者の意見書が提出されました。そのうちの1通は僕と僕の友人が提出した意見書へのBさんからの反論でした。この裁判は被告・原告の両者の側から登山関係者の意見書が複数提出されたという点でも日本の登山裁判史上特筆すべき裁判と言えるのだと思います。これらの意見書は公開され、広く登山者の論議の対象とすべきものでしょう。

2003年春。僕は裁判所HPから消えてしまった一審判決を本HPで公開しました。被告の方には公開したことと公開を理解していただきたい旨を記した手紙を発送しました。お一人からメールを拝受しました。僕は本多勝一さんとBさんにも意見書を僕のHPで公開する旨を記した手紙を発送しました ( 2003年3月11日現在ではまだレスポンスはありません ) 。また、一審判決について複数の山岳関係者の方からメールを頂きました。このうちの山本勉さん ( グループ山想 ) のメールは掲載の許可を頂くことができ、「事前にリーダーは決めておかねばならない。しかし、事故の法的責任を負わせるためではない。」というタイトルでこのHPに掲載しました。他にも、必要と思われる若干の手紙やメールを書きました。そして、いよいよ明日の午後、この「弘前大学医学部山岳部事故訴訟」の控訴審判決日を迎えます。

僕はこの3年間を振り返り自分の言動について考えています。僕が為して来たことは正しかったのでしょうか。その確信はありません。しかしながら、僕は、僕が非論理的であり、かつアンフェアであると感じたことに対して全力で反論してきました。その点に関してのみ僕は自分なりのベストを尽くせたと思います。少なくとも僕には、何人か著名な岳人の方々について、「もしかしたら、この方々はかなり初期の段階からこの訴訟において法的責任を固定して、そのことをもって登山事故防止に役立てようとしているのではないか」とさえ感じられたのです。もちろん、これは僕の思い過ごしなのかも知れません。よって、僕はこれらの経緯を可能な限りこのHPなどで開示し、皆さんの見識に僕の論評と言動あるいは上記の知覚についての評価を委ねたいと想います。ぜひご見識とご感想を本HPへおよせ下さい。もちろん、本多勝一さんとBさんには、このHPにご意見をお送り頂けるように依頼しました。

明日の判決は、それがどのようなものになるにしろ、この国で活動する登山者に大きな影響を与えるでしょう。僕は高等裁判所が一審判決を支持して頂くことを切望します。僕は、思わぬことからこの裁判に係わることになりましたが、明日は、この数年の間に通い慣れてしまった裁判所の法廷で、判決言い渡しの瞬間に立ち会う予定です。

最後に、2002年10月26日付の僕の乙37号証の「七、最後に」を引用して、本稿を終わります。

七、最後に

高い志の半ばで亡くなったa君の無念や最愛のご家族を亡くされた御遺族の心中は筆舌に尽し難いものであると拝察いたしております。
しかしながら、登山活動は、危険回避能力の獲得のためには「危険な現場」に接近しなければならないというジレンマを内包しています。そして、この能力を少しでも安全に獲得するには、自分よりも経験の高い者からの「現場での教育」が必要不可欠です。大学山岳部や社会人山岳会は、「登山は元々危険なものであり遭難は自己責任」という暗黙の了解の元で、先輩から後輩への「好意の無償のバトンタッチ」という手段によって、この作業を為して今日に至っています。よって、自主的な登山中の事故にまで、リーダーや関係者に賠償金を支払わせることは、経験者に「初心者とは山行を共にしないベクトル」を生じさせ、統計的結果として今後の登山の安全度をかえって減少させるでしょう。今日の登山事故の状況を鑑みる時、もはや営利目的の登山には法的規制が必要という見識は尊重されるべきです。しかし、自主登山は、本多勝一氏がかつて主張されたように、法的規制はなじまないのです。私は、主体的登山におけるリスク回避さえ、あたかも法的強制に頼ろうとするかのような考え方は間違っていると主張いたします。登山事故防止のみを最優先するこの思想は、これまで受け継がれてきた登山界の伝統的な理念と危険回避能力育成のシステムを破綻させる重大な危険をはらんでいます。一登山者として断じて承服できません。少なくとも参加者の自由意思による主体的な登山の安全は、啓蒙活動 ( 事故検討会での峻烈な批判もこれに含まれます ) による登山者自らの判断する知恵によってのみ確保されてゆくべきものなのです。圧倒的に経験の高いリーダーによる初心者対象の講習会や有料のガイド登山中の事故である場合は法的責任の追求もやむおえませんが、主体的な登山の結果については、やはり本人達の自己責任と言わざるをえないと思料しております。
ご家族におかれましては、少なくとも主体的登山であった本山行の法的責任については、この判決を受け止めていただければと願っております。人類愛に溢れ医師としての将来を嘱望された亡きa君の御冥福を心よりお祈りし、最愛のご家族を失われた御遺族に心より哀悼の意を捧げます。

以上


 

 

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