裁判例

弘前大学医学部山岳部遭難訴訟 一審判決文

以下は、弘前大学医学部山岳部訴訟の一審判決 (H13.10.26 名古屋地方裁判所 平成8年()4931号 損害賠償請求事件)である。2002年中は名古屋地方裁判所判決速報に掲載されていたと思うのだが、20032月にチェックしたところ確認できなかった。この判決は重要であるので、本ページにアップロードした。


弘前大学医学部山岳部遭難訴訟 一審判決

  主     文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。

  事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 被告らは,各自,原告らに対し,それぞれ7269万0356円及びこれに対する平成6年1月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言

第2 事実関係
1 請求原因

(1) 当事者
ア 原告らは,平成6年1月1日,後記山行(以下「本件山行」という。)中の滑落事故(以下「本件事故」という。)により死亡した訴外亡aの両親である。
亡aは,本件事故当時,弘前大学医学部専門課程1年生に在籍し,課外活動として,医学部山岳部(以下「山岳部」という。)に所属し,本件山行のメンバーであった者である。
イ 被告bは,本件事故当時,弘前大学医学部専門課程2年生に在籍し,課外活動として山岳部に所属し,同部部長を務めるとともに,本件山行のリーダーであった者である。
ウ 被告cは,本件事故当時,弘前大学医学部専門課程3年生に在籍し,課外活動として山岳部に所属し,本件山行の緊急連絡先を務めた者である。
エ 被告dは,山岳部のOBであり,本件山行の登山本部を務めた者である。
オ 被告国は,弘前大学の設置者であり,同大学の学長等の職員を通じて,在学生に対し,安全配慮義務を負うものである。

(2) 山行計画の立案
ア 山岳部は,毎年,課外活動として冬山合宿を実施しているところ,年末年始の冬山合宿の計画を立案するにあたり,部長であった被告bは,当初,初級者向きの鳳凰三山ルートを考えていたが,同人がかつて春山合宿で下降したときの記憶や被告cのアドバイスにより,同計画は涸沢岳西尾根を経由して奥穂高岳を往復するルート(以下「本件ルート」という。)に変更され,また,ザイル,シュリンゲ等の装備について,被告cから携行したらどうかという意見があったが,被告bが携行しない旨の意見を述べたことにより,携行しないことになった。
イ 山行計画書記載の本件山行の計画概要は下記のとおりである。

() パーティー
リーダー被告b
メンバー亡a,e(医学部進学課程2年生),f(同進学課程1年生)

() 行動計画
a 期日平成5年12月29日から平成6年1月4日(行動日4日,予備日3日)
b 予定ルート 新穂高温泉→涸沢岳→穂高岳山荘→奥穂高岳→同ルートを下山
c 行動予定 1日目弘前を夜行列車で発ち,車中泊
2日目富山で乗り換え,猪谷で下車。神岡鉄道,バスを乗り継いで新穂高温泉へ。そこから入山し,涸沢岳西尾根を登り,その途中で幕営。
3日目蒲田富士を登り,涸沢岳を経て穂高岳山荘前に幕営。
4日目奥穂高岳をピストンし,同ルートで新穂高温泉へ下山
d 装備ザイル,シュリンゲ,カラビナ,ヘルメット及び無線機の記載はない。
ウ 被告bは,平成5年12月27日ころ,山行計画書を作成し,メンバーのほか,被告c及び被告dに提出したが,XX大学へは提出しなかった。なお,そもそも山岳部には,山行計画書を提出するなど計画書をチェックするシステムは存在しなかった。

(3) 本件山行の実施状況は下記のとおりである。
ア 平成5年12月29日午後5時43分XX駅発
イ 同月30日(天候は快晴・無風)
午前10時20分新穂高温泉から入山
午後0時00分白出小屋着(涸沢岳西尾根を登り始める。)
午後3時40分標高2000メートルにて幕営
ウ 同月31日(天候は曇りのち雪,風やや強し)
午前3時00分起床
午前5時00分出発
午前10時30分蒲田富士着。幕営(fが靴が合わず,右足首を痛めたこと及び視界がやや悪かったため。)
エ 平成6年1月1日(天候は快晴,風は朝のうちはやや強かったが,本件事故時は無風。雪質はやや湿った新雪)
午前3時00分起床
午前6時00分出発
午前10時00分涸沢岳直下(標高3000メートル付近)でeが約3メートル滑落し,右足首を捻挫。その様子を見に行った被告bも転倒し,右足首を捻挫し,右肩を脱臼,下山を決定。
午前11時00分蒲田富士プラトー(丘)に戻る。蒲田富士までは,被告b,e,f,亡aの順で,蒲田富士からは,亡a,f,e,被告bの順で下山。

(4) 本件事故の発生
一行は,平成6年1月1日午前11時30分ころ,岐阜県吉城郡上宝村大字神坂字穂高岳715番地北アルプス鉱石沢(以下「本件事故現場」という。)を亡a,f,e,被告bの順で,白出沢側に巻くように移動中,ザイルを掴まないで下降していた亡aが,新雪の斜面で足を滑らせ,白出沢方向に数百メートル下まで滑落し,そのころ,頭蓋骨骨折により死亡した。本件事故現場は,蒲田富士とジャンクションピークの間の標高2650メートル地点の岩稜帯で,斜度は約45度であり,当時,同所付近にはフィックスロープが存在していた。

(5) 被告b,被告c,被告dの責任

ア 責任の根拠
山岳部は,登山技術の向上等の目的のために同好者が集い,一つの団体として活動する弘前大学の課外活動としてのクラブであり,その性質上,構成員及びOBは,信義則に基づき,相互に育成,援助,協力,指導することを暗黙に合意(契約)しているものであり,特に特定の山行についてリーダーに就任したり,山行計画の立案に参画したり,緊急連絡先や登山本部を努めるなどして関与した者同士は,より強固な信義則によって結ばれるため,上記合意(契約)に基づき,相互に育成,援助,協力,指導する法的義務を負担するものである。
また,仮に上記の合意(契約)関係が認められないとしても,特定の山行に関与した者同士は,強固な信義則に基づき,同様の法的義務を負担するも

イ 被告bの過失
被告bは,本件山行のリーダーであり,山行計画の策定から実行まで,常に主導的に行動していた者であるから,上記の合意(契約)関係または信義則に基づき,メンバーを安全に山行させる第一次的な法的義務を負う。すなわち,事前にルートの状況,危険箇所,気象状況,地形等について,十分な調査を行い,山行中に考えられるあらゆる事態を予測,認識した上,これらに対処してメンバーを安全に山行させ得る計画を策定するとともに,適切な装備,事前訓練等の準備をなし,かつ本件山行中も,パーティーを把握,統率し,適切な指示を出し,メンバーをこれに従わせることにより,パーティーの安全を確保する法的義務を負うものである。
本件山行は,上級者向きのルートにおける冬山登山であるのに対し,メンバーの登山経験,力量は,被告bがせいぜい中級者程度で,亡aが初級者に毛の生えた程度であり,e及びfは,いずれも初級者であったのであるから,本件ルートは,メンバーが安全に山行することが不可能または困難なルートであった。しかるに,被告bは,自らがかつて春山合宿で本件ルートを一度下降した経験から,新人でも登降できる簡単なルートであると考え,本件ルートの危険性について正しい認識を欠いていたため,十分な調査をすることなく本件ルートを選定し,本件ルートのレベルに即した事前訓練を重ねることもなく,また,冬山登山に必携とされるザイル,シュリンゲ,カラビナ等の装備を不要として携行しないことを決定した過失がある。
また,山行計画書は,単なる予定表や遭難の有無等を確認するための機能を有するにとどまらず,山行計画に無理がないか,メンバーが安全に山行できるか否かについて,第三者にチェックさせ,安全な山行を実施するためのものであり,従って,山行計画書は,在学生に対して安全配慮義務を負担している大学当局に提出し,そのチェックを受けるべきものである。しかるに,被告bは,本件山行の直前,被告c及び被告dに山行計画書を提出したのみで,弘前大学には提出しなかった過失がある。
さらに,本件事故現場は,斜面が急峻で,フィックスロープやシュリンゲ等で体を確保しつつ登降するのが一般的とされている本件ルート中で最も危険な箇所であり,従って,被告bは,同所を下降するにあたっては,パーティーを確実に統率するため,必ずパーティーに密着して行動し,また,自らが先に下降した上,メンバーに足場や下降方法を指示して安全に下降させるべき義務がある。しかるに,被告bは,当時,亡a及びfが先行していたのにこれを停止させず,安全に下降するための必要な指示を与えなかった過失がある。

ウ 被告c及び被告dの過失
被告cは,山行計画の立案に参加し,本件ルートを提案した者であり,被告dは,登山本部を努めた者であるから,山行計画が内容において一見して明らかに安全上の問題がある場合には,計画の変更,修正を指導,助言する法的義務がある。しかるに,同人らは,ルートの選定及び装備の点で一見して明らかに問題のある本件の山行計画について,何ら指導,助言を与えなかった過失がある。

(6) 被告国の責任
被告国は,国立大学における在学契約に基づき,あるいは入学許可という行政処分によって発生する営造物利用関係上の管理権に基づき,学長等の職員を通じて,在学生に対し,課外クラブ活動における生命,身体の安全に配慮する義務があり,中でも冬山登山に関しては,その危険性が高いことにかんがみ,文部省から毎年各大学宛に送付される「冬山登山の事故防止について」と題する通知に従い,法律上,より高度な安全配慮義務を負うというべきである。すなわち,山岳遭難対策中央協議会から出される「冬山登山の警告」と題する文書を大学内に掲示するだけでなく,山岳部から山行計画書を提出させ,提出されない場合には,山行の中止を勧告し,また,提出された場合にも,山行計画内容に一見して明らかな安全対策上の不備があり,山行の実施による危険が予測される場合には,学生らにこれを指摘して注意を喚起し,それでも改善されないときは,大学当局自ら安全対策を講ずるか,山行の中止を勧告する義務がある。しかるに,弘前大学は,大学内に上記「冬山登山の警告」を掲示していなかったほか,山岳部に対し,本件の山行計画書の提出すら勧告しなかった安全配慮義務違反がある。なお,山岳部顧問の訴外g教授は,事前に本件山行の実施を知っており,また,弘前大学各学部・教養部共通細則21条は,在学生に対し,学外における集会の届出,承認を義務付けているから,弘前大学が,山行計画書の提出を命ずる機会や制度上の根拠はあったものである。

(7) 因果関係
本件事故は,メンバーに本件ルートにおける冬山登山の危険性についての正しい認識があり,その力量にあったルートが選定され,万全の事前訓練と装備が整い,山行計画書が作成され,これに対するチェック機能が十分に果たされていれば発生しなかったものであり,また,本件山行中,リーダーである被告bが,本件事故現場を自ら先に下降して手本を見せ,他のメンバーに足場の指示その他下降方法を指示して下降させていれば発生しなかったものであり,被告らの上記過失ないし安全配慮義務違反と本件事故との間には相当因果関係がある。

(8) 損害

() 逸失利益
亡aは,本件事故当時,23歳の男性であり,弘前大学医学部専門課程1年生に在籍していたもので,27歳から医師として稼働する予定であった。亡aの27歳から就労可能年齢67歳までの年間収入を平成6年度賃金センサス第3巻第3表「職種・性,年齢階級別きまって支給する現金給与額,所定内給与額及び年間賞与その他特別給与額(産業計)」によって算出し,生活費(50パーセント)を控除し,ライプニッツ方式により中間利息を控除して逸失利益を算出すると,別表のとおり,9138万0713円となる。

() 慰謝料
亡aは,幼いころからシュバイツアーを尊敬し,医師になって多くの人々の生命と健康を守っていこう考えていたもので,本件事故によってその夢を絶たれたことの無念は察するにあまりあり,これを慰謝するには3000万円をもってするのが相当である。

() 原告らは,亡aの死亡により,上記()()の損害賠償請求権を法定
相続分に従い2分の1ずつ相続した。

イ 原告ら固有の慰謝料
原告らは,愛する息子を無謀な本件山行で失い,現在でも悲嘆に暮れる毎日を過ごしている。原告らは息子の遺志を実現するため,「YositakasHopeFund」を設立し,カンボジアその他の発展途上国において移動図書館を開き,初等教育の援助活動をするなどしているが,最愛の息子を亡くしたことによる精神的打撃は,専門カウンセラーによるカウンセリングを受けても癒えることのない甚大なものであり,原告らの精神的損害を慰謝するには,少なくとも各自1000万円をもってするのが相当である。

ウ 葬儀費用
原告らは,亡aの葬儀費用として,少なくとも100万円を支出した。

エ 弁護士費用
原告らは,本件損害賠償請求のため,原告ら訴訟代理人弁護士に対し,本件訴訟の提起と追行を委任したもので,その弁護士費用は300万円が相当である。

オ 損害のまとめ
以上によれば,原告ら各自の損害は,上記ア()()の合計額の半分であ
る6069万0356円,上記イの1000万円及び上記ウ()()の合計
額の半分である200万円の合計7269万0356円である。

(9) よって,原告らは,被告ら各自に対し,それぞれ7269万0356円及びこれに対する本件事故の日である平成6年1月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2 請求原因に対する認否

(1)ア(被告ら)
請求原因(1)アの事実は認める。ただし,亡aは本件山行のサブリーダーであった。
イ(被告ら)
(1)イないしエの各事実はいずれも認める。
ウ(被告b,被告c,被告d)
(1)オの事実のうち,被告国が弘前大学の設置者であることは認め,その余は,被告国に関することなので認否しない。
(被告国)
(1)オの事実のうち,被告国が弘前大学の設置者であり,在学生に対し,安全配慮義務を負うことは認め,安全配慮義務の具体的な範囲及び程度については争う。
(2)
ア(被告b,被告c,被告d)
(2)アの事実は認める。ただし,本件山行計画は,本件山行のメンバー全員が参加し,相談し合って立案したものである。
(被告国)
(2)アの事実は認める。ただし,亡aもザイルを携行しないことに賛成する意見であった。
イ(被告ら)
(2)イの事実はすべて認める。ただし,亡aは本件山行のサブリーダーであった。
ウ(被告b,被告c,被告d)
(2)ウの事実は認める。ただし,被告dのもとに山行計画書が郵送で到達したのは,パーティーが出発した後である。
(被告国)
(2)ウの事実は認める。
(3)
(被告ら)
(3)の事実はすべて認める。
(4)
(被告ら)
(4)の事実は認める。ただし,本件事故当日の視界は非常に良好であり,また,亡aは,怪我もなく体調も良好で,蒲田富士のプラトーに戻るまで,途中のフィックスロープが設置されていた箇所は難無く通過していた。
(5)
(被告b,被告c,被告d)
ア 同(5)アは争う。
イ 同(5)イは争う。被告bには,本件事故現場における亡aの後記の極めて軽率な行動及びこれによる本件事故の発生を予見し,回避する可能性もすべもなかった。
ウ 同(5)ウは争う。緊急連絡先の任務は,事故など緊急事態が発生した場合に最初に現地から連絡を受け,これを登山本部に連絡することであり,また,登山本部は,事故が発生した場合の各方面への緊急連絡,捜索依頼等の手配をすることであり,これらに山行計画書の事前チェックは期待されていないし,その変更・修正を助言する権限も義務もない。実際,被告dのもとに山行計画書が到着したのは,パーティーが出発した後であった。
(6)
(被告国)
(6)の事実のうち,被告国が国立大学の在学生の課外活動について,安全配慮義務を負うこと,g教授が事前に本件山行の実施を知っていたこと,弘前大学各学部・教養部共通細則21条に集会の届出,承認に関する規定があることは認め,その余の事実は否認し,安全配慮義務の内容,程度については争う。山行計画書は,万が一事故が起こった場合に救助活動を円滑に行うために提出されるものであり,提出先機関が,事前にこれを提出させ,変更・中止を勧告すべき義務を負うものではない。また,大学において,必ずしもすべての顧問教官が当該クラブ活動に関して専門的知識や技術を有しているとは限らず,また,顧問教官への就任やクラブ活動への参加が義務づけられているわけでもないことから,原告らの主張は,大学の課外活動の実態にかんがみ非現実的である。
また,弘前大学は,「冬山登山の警告」等のパンフレットを関係課外活動団体に配付するとともに,学生館内の掲示板に掲示して周知する措置をとっていたもので,安全配慮義務は十分尽くしていた。なお,弘前大学各学部・教養部共通細則21条の定める届出とは,学生が大学施設を使用する場合の使用管理のほか,いわゆる学生集会を把握する目的で定められたもので,大学施設を利用しない学外活動の届出については,当該活動団体の自主的判断や慣行に委ねられていたものである。
(7)
(被告ら)
(7)は争う。亡aは,本件事故直前,バランスを崩した場合に対応するための3点確保の姿勢をとらず,また,現場には使用に耐え得るフィックスロープが存在したのにこれを掴まずに下降していたため,新雪の斜面に足を踏み入れてバランスを崩し,滑落したもので,本件事故は,亡a自身の不注意,軽卒な行動が原因で発生したものであるから,被告らの作為・不作為と本件事故とは相当因果関係がない。
(8)
(被告ら)
(8)アないしオはすべて争う。

第3 当裁判所の判断
(1) 原告らが,平成6年1月1日に本件事故により死亡した亡aの両親であること,亡aが,本件事故当時,弘前大学医学部専門課程1年生で,課外活動として山岳部に所属しており,本件山行に参加したこと,被告bが,本件事故当時,同学部専門課程2年生で山岳部に所属し,同部の部長を務めており,本件山行のリーダーであったこと,被告cが,本件事故当時,同学部専門課程3年生で山岳部に所属しており,本件山行の緊急連絡先であったこと,被告dが,山岳部のOBで本件山行の登山本部であったこと,被告国が弘前大学の設置者であることはいずれも当事者間に争いがない。
(2)
 (1)の争いのない事実と甲第2ないし第4号証,第8号証の1,2,第10号証の1,2,第19ないし第21号証,第26ないし第28号証,第49号証,第51号証,第84号証,第85号証,乙第1号証,第4号証の1ないし4,第5号証,第6号証,第7号証の1,2,第8号証の1,2,第9号証,第11ないし第14号証,第19ないし第22号証,第28号証,第31号証,丙第1号証,証人f,同gの各証言,被告bの本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば,次の各事実が認められる(この認定事実の一部は,前記第2「事実関係」欄記載のとおり,当事者間に争いがない。)。
ア 山岳部は,昭和40年ころ,弘前大学医学部長の承認を受けた学内団体で,同大学医学部及び医療技術短期大学の学生の有志により構成され,体力や登山技術の向上を目的とする課外活動団体である。山岳部の主な活動は,週1回の部会,近郊の山や岩場での日頃の訓練のほか,北アルプスや南アルプスでの春・夏・冬の合宿等の行事である。部員の退部,休部は自由であり,山行や合宿への参加も完全に各部員の自由意思に任されている。専門課程3年生以上の部員は試験等で忙しく,ほとんど活動には参加しないため,部の運営は専門課程2年生以下の部員らに委ねられていた。山岳部とOBとの交流は,積極的には行われておらず,OBが指導,助言を与えたり,山行に同行したり,経験や技術を伝授する慣行はなかった。
イ 本件事故当時の山岳部の部員は,専門課程4年生が2名,同3年生は被告cのみ,同2年生は被告bのみ,同1年生は亡aのみ,進学課程2年生はeのみ,同1年生はfのみであり,そのほか医療技術短期大学生の女性4名の合計11名であり,代表責任者は被告bであり,顧問教官はg教授であった。
ウ 平成5年11月当時,被告bは,入部4年目で,過去に夏山合宿及び積雪期の合宿に各4回ずつ参加したが,そこではザイルを使用しなかったことが多く,また,同年の夏山合宿以降は,八甲田山の登山と座頭石での登攀の訓練を2回したのみで,積雪期の山行でリーダーを務めたことはなかった。亡aは,入部3年目で,夏山合宿に2回,冬山合宿に1回参加したが,冬山ではザイルを使用したことがなく,同年の夏ころは週1回の部会にもあまり参加せず,夏山合宿にも参加しなかった。fは,入部1年目の新人で,同年の夏山合宿には参加したが,積雪期の山行経験はなく,また,eは,同年10月に入部したばかりの新人で,山行経験はなかった。以上の4名は,山岳部の代表者で,4名の中では最も冬山登山の経験の豊富な被告bをリーダーとし,年次的に被告bに次ぐ地位にあり,冬山登山の経験を有する亡aをサブリーダーとして,冬山登山の経験のないf及びeを引率する形で冬山合宿としての本件山行を実施することを決定した。
エ 被告bは,被告cに対し,本件山行の行き先やルートについて相談したところ,同人から涸沢岳西尾根を経由して奥穂高岳を往復する本件ルートを提案された。被告bは,平成4年の春山合宿で女性の新人部員とともに本件ルートを下降した時の記憶から,新人2名を含む上記メンバーでも大丈夫であると判断して本件ルートを選定し,これに他のメンバーも何ら異論を述べなかった。
オ また,被告bは,被告c及び亡aとの間で,ザイル,シュリンゲ,カラビナ等の装備を持っていくべきかどうかを相談していたが,被告cが持っていくべきとの意見であったのに対し,被告bは,上記春山合宿の際,危険箇所にはフィックスロープがあったいう記憶から,重量を増やしてまでザイル等を持っていく必要はないと判断し,これらを装備に加えないことにした。また,ヘルメットや無線機も装備に加えないことにし,これに他のメンバーも何ら異論を述べなかった。
カ 亡a,e及びfは,本件山行前の冬山訓練として,亡aをリーダーとし,被告cの同行のもと,同年12月25日から26日にかけて岩木山に登り,被告cと亡aがe及びfに対し,アイゼンワークやピッケルワーク,滑落停止姿勢をとる訓練を行ったが,ザイル等は持参しなかった。なお,被告bは,試験期間であったため,上記訓練には参加しなかった。
キ 被告bは,被告cに対し,緊急連絡先として,最終下山日時を過ぎてもパーティーから下山の連絡が入らない場合,登山本部への連絡を行うことを依頼し,また,出発の約1週間前,被告dに対し,登山本部として,緊急連絡先から連絡があった場合に各方面への連絡や捜索等の手配を行うことを依頼し,それぞれ承諾を得た。また,被告bは,同年12月中旬ころ,いったん山行計画書を作成し配付したが,被告cに書き直すよう指示され,同月27日ころ,再び山行計画書を作成し,メンバー及び被告cに再配付し,翌28日ころ,被告d宛てに郵送し,山行計画書は,一行が本件山行に出発した後である翌29日または30日に被告dのもとに届いた。
ク 同月29日,一行はXX駅を出発し,翌30日早朝,新穂高温泉に到着した。同日午前10時20分ころ,新穂高温泉の登山指導センターに山行計画書を提出して入山し,正午ころ,白出小屋に到着した。そこから亡aを先頭とし,被告bを最後尾として涸沢岳西尾根を登り始めた。当時,天候は快晴で,風もほとんどなく,先行パーティーがつけたトレースもしっかりと残っており,山行は順調であった。一行は,途中,休憩をとった後,午後3時40分ころ,標高約2000メートル付近の樹林帯の中で幕営した。
ケ 同月31日,一行は午前5時に出発し,前日同様,亡aを先頭とし,被告bを最後尾として登り始めた。天候は,当初は曇りであったが,樹林帯を抜けるころから雪が降り始め,視界も悪くなり,風もやや強かった。一行は,途中,本件事故現場となった蒲田富士直下の岩稜帯を通過する際,下山してきた数名のパーティーとすれ違った。当該パーティーは,シュリンゲ,カラビナ,ハーネスを用いて,同所に張られたフィックスロープで体を確保しながら,一人ずつ下降してきたため,一行は道を譲り,当該パーティーが通過し終わるのを待った。その後,被告bは,残置されたフィックスロープを掴むことなく,f及びeは同ロープを掴みながら(亡aが同ロープを掴んでいたかどうかは不明である。),岩稜帯を登り,午前10時30分ころ,蒲田富士(標高約2742メートル)に到着した。一行は,当時,fが靴擦れを起こして右足首前面を痛め,ペースが落ちていたことや,視界がやや悪かったことなどから,早めに同日の行動を打ち切ることにし,蒲田富士の稜線上で幕営した。
コ 平成6年1月1日,朝のうちは風がやや強かったため,一行は午前6時になって出発し,前日同様,亡aを先頭とし,被告bを最後尾として登り始めた。天候は快晴で,風もなくなり,視界は極めて良好で,雪質は,前日の降雪により,やや湿った新雪であった。途中,F沢のコルを通過する際,残置されたフィックスロープがあり,被告bは,メンバーに対し,ロープを掴んでもよいが,なるべく体重をかけずにバランスの補助として用いるよう指示を出し,一行は全員フィックスロープを掴んで登った。途中,fが前日の靴擦れのためペースが落ち,先頭の亡aがfから離れすぎる傾向があったため,被告bは,亡aにあまり離れすぎないよう注意した。
サ 涸沢岳直下の標高3000メートル付近で,eがスリップし,うつ伏せの状態で約3メートル滑って停止し,右足首を捻挫したが,歩くのに支障はなかった。また,被告bは,eのもとに駆け寄り,無事を確認した直後,自らも足を滑らせて転倒し,右肩を亜脱臼したが,その場で整復し,大事には至らなかった。しかし,その先もアイスバーン状の雪面が続き,ザイルなしでそれ以上の登山は危険であったため,一行は直ちに下山することにした。
シ 一行は,被告bを先頭とし,亡aを最後尾として下山を始め,途中,F沢のコルでは,登りの時と同様,メンバー全員が残置されたフィックスロープを掴みながら下降し,午前11時ころ,蒲田富士のプラトー(丘)に戻り,5分ほど小休止した。当時,メンバーの体力に問題はなく,fやeも特に足の痛みを訴えてはいなかった。また,天候は良好で,風もなく,気温も高くなっていた。一行は,そこから再び亡aが先頭に戻り,f,e,被告bの順で下山を始めた。蒲田富士直下の岩稜帯にさしかかり,下りが急峻になるにつれて,段差を一人ずつ下るようになり,先に下りた者も特に待たず,被告bも待つよう指示を出してはいなかったため,各メンバー間の距離が少し開いた。また,途中,eがサングラスとゴーグルを取り替えるために立ち止まり,その間,被告bも後ろで待っていたため,同人らと前の2人との間が少し開いた。
ス 午前11時30分ころ,まず,亡aが標高2650メートル付近の本件事故現場を1人で下りていき,fは,同所に残置されたフィックスロープを掴んで,亡aが下り終わるのを待っていた。そのとき,5メートルほど先を下っていた亡aが,fに対し,残置ロープを掴まないで下りるよう指示を出し,自らも残置ロープを掴まず,また,両手両足を斜面につけ,そのうち1点だけを動かすいわゆる3点確保をすることもなく,一歩一歩踏み出すというよりは,むしろやや早いテンポで体をfの方に向けて後ろ向きに2,3歩下りたところ,突然バランスを崩し,2,3回新雪の斜面を転がった後,頭を上,足を沢側に向けて,うつ伏せの状態で斜面を滑り落ちていった。当時,被告bのいた地点からは,岩場の陰になって,亡aやfの姿を確認することはできなかった。
セ 本件事故現場は,蒲田富士直下の岩稜帯をトラバース気味に下降するルートで,沢側への斜面の傾斜は約45度である。本件事故当時,ルート上には先行パーティーが残したトレースがはっきりとついており,やや湿った新雪の所々に岩が露出していた。また,当時,本件事故現場付近には,数日前から明治大学山岳部が張った複数本のフィックスロープが残置されていた。
ソ 翌2日午前8時ころ,白出沢と鉱石沢の合流部から100ないし200メートルほど鉱石沢を登った標高約2000メートル付近の斜面で,頭を下流に向け,うつ伏せで倒れている亡aの遺体が発見,収容され,死体検案の結果,死因は頭蓋骨骨折による即死と判明した。
以上の事実が認められ,他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。
2 本件事故の原因について
1の事実によれば,亡aは,本件事故現場から滑落する途中,岩などで頭を強く打って死亡したものと認められ,同人の滑落の原因について検討すると,本件事故現場は,比較的急な斜面ではあるが,本件事故当時は気象条件に恵まれ,また,ルート上にはトレースがはっきりとついており,まだ新しい複数本のフィックスロープが残置されていた上,亡aの体調も良好であったこと,また,同人は,残置ロープを掴むことなく,後続のfにも同ロープを掴まないで降りるよう指示を出すなど,余裕があり,快調なペースで下降していたことから判断すると,亡aは,fに指示を出して再び下降を始める際,足下に対する注意をおろそかにしていたことにより,トレースを踏み外したこと,あるいは露出した岩にアイゼンを引っかけてつまづいたことをきっかけとし,3点確保の姿勢をとっていなかったこともあって滑落したものと認めるのが相当である。
この点,原告らは,本件事故の目撃者はf1人であり,一瞬の出来事である上,同人の記憶は曖昧であり,また,被告らに責任が及ばないようにしたいとの思惑に影響されているから,fの証言等は信用できない旨主張するが,同人の証言等は,事故状況の概略部分において一貫しており,現場の状況等に照らしても不自然,不合理な点はなく,また,原告らの主張するような思惑に影響されていることも認められないから,十分信用するに足りるものである。
また,原告らは,他人が残置したロープは劣化していることがあり,かえって危険であるから,当時,亡aがこれを掴まずに下降していたことは誤りではない旨,また,仮にこれを掴んでいたとしても滑落は防げなかった旨主張するが,上記のとおり,本件事故の原因は,専ら亡aの3点確保を行わない軽率な足運びと足下の不注意にあると認められ,残置ロープを掴んでいなかったこと自体が原因であるとは当裁判所も認めるところではない。
(2)
 これに対し,原告らは,本件事故は,本件ルートにおける冬山登山の危険性についてメンバー全員の認識が不足していたこと,そのため,メンバーの力量に合わない本件ルートが選定されたこと,ザイル,シュリンゲ,カラビナ等の装備がなかったこと,山行前の訓練が不十分であったこと,及び山行前に山行計画書を第三者に提出して安全性のチェックを受けなかったことが原因で発生した旨主張し,甲第5号証,第6号証,第9号証,第11号証,第13号証,第14号証,第24号証,第84号証,証人hの証言中には上記主張に沿う記載及び供述がある。
しかしながら,上記のとおり,本件事故当時における現場付近は,比較的下降しやすい状況であり,亡a自身,余裕のある様子で快調に下降していたという具体的事情に照らせば,当時,本件事故現場が亡aにとって格別歩行が困難で危険な場所であったとは認められず,従って,本件ルートの選定と本件事故との間に相当因果関係があるとは認められない。
さらに,上記のとおり,本件事故は,亡aの現場における具体的な過失に起因するものであり,同人が本件ルートの危険性について一般的に認識不足であったことや,山行前の訓練が不足していたことは,本件事故の遠因ないし背景事情ではあっても,本件事故と相当因果関係を有するものとは認められない。また,山行計画上の問題点に起因する事故でない以上,山行前に山行計画書を大学などに提出してチェックを受けなかったことと本件事故との間に相当因果関係を認めることもできない。
また,甲第20号証,第24号証,第84号証,証人hの証言並びに弁論の全趣旨によれば,ザイル,シュリンゲ,カラビナ等は,万が一滑落したときにこれを停止する命綱の役目を果たすものであるが,滑落を停止できるかどうかは,ザイルの状態,力のかかり方や方向,本人の体勢等の様々な要因により左右されるため,一概にはいえないこと,また,日頃からザイルワークの訓練を重ね,これに習熟していればこそ,現場においてその本来の効用を全うさせることができるものと解されるところ,被告bや亡aの平成5年中の活動状況やe,fの訓練内容をみる限り,同人らがザイルワークに習熟していたとは認められないことに照らせば,上記装備があれば本件の滑落を防止することができた蓋然性があるとは認められず,従って,装備の不備と本件事故との間に相当因果関係は認められない。
なお,甲第2号証,第51号証中には本件山行の反省点として,原告らの主張と同趣旨の記載があるが,証人f,同gの各証言,被告bの本人尋問の結果によれば,上記記載は,本件山行の反省点を単純に列挙したものにとどまり,それが本件事故の直接の原因であるという趣旨で記載されたものではないと認められるから,その記載は上記認定を左右するものではない。
以上に照らせば,前掲各証拠は採用することができず,他に原告ら主張の事実を認めるに足りる証拠はない。
3 その他の原告らの主張について
原告らは,被告bは,リーダーであるにもかかわらず,本件事故当時,先頭の亡aに待つように指示をせず,また,自らが先に下り,メンバーに安全な下降方法を指示するなどしなかった過失がある旨主張する。
しかし,上記のとおり,当時の本件事故現場付近は,トレースや残置ロープがあったほか気象条件にも恵まれ,登山経験の浅い者でも比較的下降しやすい状況であり,メンバーらは,被告bの指示を受けるまでもなく順調に下降していたこと,また,同所は,メンバーが前日に登ったばかりの場所であり,その際,すれ違った他のパーティーが,フィックスロープにシュリンゲ,カラビナ等で体を確保しながら,一人ずつ慎重に降りている様子を亡aを含めてメンバー全員が見ていたこと,さらに,メンバーらは,本件事故現場に至る前に,被告bから,危険を感じれば残置ロープをバランスの補助にしながら下降するとよいことを教示され,これを実践していたことに照らせば,当時,少なくともサブリーダーであった亡aには,ある程度自主的に状況を判断して行動することが期待できたものであり,被告bにおいて,あえてサブリーダーとして先頭を歩いていた亡aに待つように指示し,自らが先に降りて,1人1人に足場を指示するなどの措置をとらなければならない注意義務があったとまでは認められない。また,上記のとおり,本件事故は,亡aが快調に下降していた最中の突発的な事故であることに照らせば,当時,被告bが亡aの動静に注意を払っていたとしても,本件事故の発生を予測し,回避することは極めて困難であったと認められる。
この点,原告らは,大学の山岳部の山行は「自主登山」(特定の者が一応リーダーとなっていても,他の仲間も山行計画などに積極的に関与している登山)とされる場合があるが,本件山行は,力量の上の者が下の者を引き上げることを目的とする合宿であり,現に被告bと他のメンバーとの力量には格段の差がある点,また,本件山行計画の実質的な決定者は被告bである点において,「引率登山」(リーダーないし主催者が計画を立てるなど中心的な役割を果たす登山)ないしこれに準ずるものに分類されるとし,また,他のメンバーは登山者としての通常の体力,技術力,判断能力を有しているとはいえないから「未成年型」であり,かつ,「非営利型」の登山であるから,リーダーには最も高い注意義務が要求される旨主張し,甲第24号証,第84号証,第88号証,証人hの証言中にはこれに沿う部分がある。
しかしながら,前示のとおり,本件山行は,一行の4人の中で冬山登山の経験のある被告bと亡aとがリーダー及びサブリーダーとして,登山の初心者であるfとeを引率する形の登山であり,亡aは,客観的にみてそれだけの経験と能力を有していたか否かはともかく,f及びeに本件山行前に訓練を施すなど,被告bとともに他の2人を指導する立場にあったものである。そうすると,被告bとしては,初心者であるf及びeについてはその動静に気を配り,危険のないよう配慮すべき義務を負っていたものと認められるが,自分より経験・力量とも劣るとはいえ,共に引率・指導する立場にあった亡aに対してまで,格別高い注意義務を負っていたとはいえない。また,一行の4人は,本件山行状況からして,体力的には問題がなかったものと認められる上,いずれも既に成人またはこれに近い年齢に達した大学生であることにかんがみれば,それ相応の判断能力が求められるのは当然であり,体力や判断力の未熟な児童生徒と同列に扱うことはできず,技術不足の一事をもって,本件山行を「未成年型」と評価することもできない。
従って,本件山行において,被告bが亡aとの関係で特に高い注意義務を負うべき根拠は見当たらず,前掲各証拠はいずれも採用することができず,他に原告らの主張を認めるに足りる証拠はない。
4 被告c,被告dの責任について
上記のとおり,本件事故は本件山行計画そのものに起因するものではないから,これについての被告c,被告dの指導,助言の有無と本件事故との間に相当因果関係は認められない。
なお,原告らは,被告c,被告dは,それぞれ緊急連絡先,登山本部として本件山行に関与したのであるから,ルートや装備といった山行計画について適切な指導,助言を与えるべき法的義務があった旨主張するが,同人らは,万が一事故等が発生した場合の対処を行うことを引き受けたにとどまり,また,山岳部では,3年生以上の上級生やOBが積極的に活動に参加し,後輩部員に指導,助言を与えるような慣行もなかったことに照らせば,同人らに指導,助言を与える法的義務があったとは到底認められない。
5 被告国の責任について
上記のとおり,本件事故は本件山行計画そのものに起因するものではないから,弘前大学が,事前に医学部山岳部に山行計画書を提出させ,その内容のチェック等をしなかったことにつき,本件事故との間に相当因果関係は認められない。
なお,原告らは,毎年,文部省体育局長から各大学長宛てに送付される「冬山登山の事故防止について」と題する通知及びこれに添付された山岳遭難対策中央協議会より出される「冬山登山の警告」と題する文書を根拠に,弘前大学は山岳部の課外活動としての本件山行について,事前に山行計画書を提出させて安全性をチェックし,問題点を指摘したり,自ら安全対策を講じたり,あるいは山行の中止を勧告すべき法的義務がある旨主張するが,丙第2号証,第11ないし第13号証によれば,上記「冬山登山の事故防止について」には,大学長等に求める事故防止策としては,「冬山登山の警告」の趣旨の周知徹底という以外に何ら具体的方策が示されていない上,上記「冬山登山の警告」には,危険回避は自己責任である旨が明記され,山行計画書の提出,装備等の点検は,すべて登山者が自主的に行うべきことが強調されており,また,山行計画書は,特に遭難時の捜索救助活動の円滑を図るという観点から,第一次的には登山地域の警察署や登山指導センターに提出すべきものとされ,学校は,むしろ関係者を安心させるための付随的な提出先として位置づけられていることが認められ,これらに照らせば,上記の通知等が原告らの主張する義務の存在を認める根拠となるものとは認められず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。
なお,丙第11号証,証人gの証言によれば,本件山行当時,弘前大学は,上記「冬山登山の警告」を山岳部に配付していたものと認められ,他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

第4 結論
以上によれば,原告らの本訴請求は,他の争点について判断するまでもなく,いずれも理由がないからこれらを棄却することとし,訴訟費用の負担につき,民事訴訟法61条,65条を各適用して主文のとおり判決する。

名古屋地方裁判所民事第8部

裁判長裁判官 野田弘明
    裁判官 後藤 健
    裁判官 藤本ちあき

(別表省略)

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