管理人の論考

登山の法的責任のルールを決めるのは登山者自身だ

以下は、『山と渓谷』2003年7月号 (No.816) の「山話日和」に「登山事故の法的責任を考える」という題で掲載されたぼくの原稿です。編集部の同意を得てここに掲載いたします。今回は、副題「登山の法的責任のルールを決めるのは登山者自身だ」を付けました。

どれがどのファイルやらわからなくなってしまい、掲載された原稿との同一性が失われたかも。乞ご海容。

2005.07.26記


 

登山事故の法的責任を考える。

=====登山の法的責任のルールを決めるのは登山者自身だ=====

94年元日、涸沢岳西尾根で、弘前大学医学部山岳部パーティのサブリーダーがバランスを崩して滑落し、死亡した。96年冬、遺族は、先輩部員・山岳部OB・リーダー・国を提訴した。先輩部員と山岳部OBへの提訴理由は「ロープ不携帯の冬山合宿を止めるべき法的義務を怠った」だった。

03年3月12日。僕はこの訴訟の控訴審判決を名古屋高等裁判所で傍聴した。裁判長は、一審判決を支持し、遺族の請求を認めなかった。

今回の判決は、特に初心者を引率するタイプの登山に重大な影響を与えるだろう。判決から最重要部分を社会人山岳会にも当てはめて以下に紹介する。全文は「登山事故の法的責任について考えるページ」に掲載した。)

�@大学山岳部や社会人山岳会での登山は、ある例外を除き、リーダーであっても、山行の計画の策定,装備の決定,事前訓練の実施及ぴ山行中の危険回避措置について,メンバーの安全を確保すべき法的責任まではなく、原則的には自己責任である。

�A例外とは、参加メンバーがその山行をこなす相応の実力がないなどの理由で、事故の発生が極めて高い確率で予測される時である。

�Bメンバーが初心者等の場合は、主体的な登山でも、リーダーはその安全を確保すべき法的責任がある。

�Bの判決内容は重い。なぜなら、この法的判断は、滑落したのが新人だったらリーダーとサブリーダーは法的責任を認定された可能性があることを意味するからだ。この判決は仲間同士の主体的登山の法的責任を明文化したものと言わざるを得ない

これからの登山者は「リーダ-とは事故時に法的責任を問われる立場」ということを、より強く意識することが必要だ。弁護士数の増員と市民の権利意識拡大となどによって、登山事故の紛争解決を裁判に求める人は増加するだろう。しかし、日本にはあらかじめ損害賠償請求を制限可能な制度はなく、「一切責任は問いません」という同意書には法的効果はない。僕たちは「登山仲間に法的責任あり」とする訴訟の増加を踏まえていなければならない。弘前題山岳部OBは「無謀な計画を制止しなかった」という理由で提訴されているのだ。

以下の対策は最低必要だと思う。

�@リーダ-クラスの仲間に、リーダーの法的責任についての説明責任を全うし、個人賠償責任保険に加入する。

�A各自が家族に対して参加する山行のリスクを正確に説明し、納得してもらい、万一、事故が生じたときのために、仲間に対して損害賠償を請求する際の基準をしっかりと説明しておく。

ところで、今回の判決を読んで「もう初心者を連れていけない」と思う人が増えることを僕は危惧する。なにしろ、リーダーは無事下山して当たり前、事故ったら賠償金を請求され、時には犯罪者になってしまうからだ。しかし、リーダークラスの人達には、踏み止まってほしいと僕は願う。

なぜなら、登山は、危険回避能力の獲得には危険への接近が必要というジレンマを内包している。日本では、それは現場での先輩から後輩への申し送りによって伝えられてきた。先輩たちが、生命をかけて僕たちを守り、導いてくれたことを僕たちは知っている。この借りは、この宝物を次の世代に伝えることによってしか返せないだろう。だから、僕たちは今回の判決によるリスクを論理的に処理して、登山の魅力と危険回避のノウハウを若者達に伝えて行かなければならない。

今春、政府は裁判員制度のたたき台を提出した。近い将来、登山者自身が裁判官と協力して登山事故を裁く日がくるのかもしれない。時代は僕たちに登山事故の法的責任を自ら考えることを要求しているようだ。であるならば、僕たちは、裁判所にまかせきりにするのではなく、積極的に考え、法的責任を問うべきものとそうでないものを識別する知恵を身につけよう。

僕たちは、「登山の法的責任のルールを決めるのは自分達だ」と言う自覚を持つべきなのだ。

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